部屋が寒い

だいたい寝ています 起きている間のことを書く

月曜朝の喫煙所とか

最近、思ってないことを必死にたくさん言うのやめた。楽になったかと言われるとそうでもない。たとえば他人が私のやりたくないことを頑張っているとき、こういう理由で手伝ってあげられなくて申し訳ないみたいなことを言うのをやめた。頑張ってるね、とか、すごいね、偉いね、やりたいことがあるんだね。としか思ってないし。でも、せめて意欲を見せるくらいしないと失礼なんじゃない?とか、私が興味なさそうにしたことでやる気を削いだらどうしようとか、不安になってきちゃう。いやいや、もうそういうこと考えるのやめることにしたじゃん、と言い聞かせる時間が必要なので、まだ楽にはなれてない。

 

そもそも、自分が強く思ってることすら主張しないのを美徳と考えていた。のを思い出した。この寮に来るまで。「思ってるけど言わないでいてあげる」みたいな形で、必死に優位を保っていた。実家を出るまで。今は、今はたぶん、思ってること言える人がすごくて、私はそれができなくて、まあいいか。と思っている。心の中で優位に立つためにあえて人に何かを譲る、みたいなのは昔の私の癖で、今も抜けてないんだけど、愚かだなあと思うようにはなった。まあいいか。って感じだけど

 

7月は会議とかにほとんど1回も出ていなくて、いい感じ。でもまだ、失望されたくなくて「しばらく休んでまた力になりたいです」系のことを言ってしまう場面がある。8月はこれを1回も言わないように、あと出るべき会議には出れるようにしよう。シェアハウスの内見は、ブッチしちゃってやめた。てか寮住んでても生活成り立ってないのに家賃高くなったらしぬだろ草

 

浴衣着て好きな人と祇園祭に行った。今年の夏こそ、好きな人としたいことを全部したい。高えかき氷食べに行くのと、なんかしらのライブに一緒に行くのと、花火するのと、あとビアガーデンも行きたいし、日帰り旅行もしたいな。こないだ先輩に、いまの恋人と結婚するつもりある?と聞かれて、まず私自身が未来にビジョンを持ててないので結婚とか以前の問題すね〜笑となった。彼と結婚するかは、まあタイミングすね〜笑

 

なんかいつだかわからないけど平安神宮のあたりを二人で歩いてた時に子供育てようよって熱心に言われた記憶があるんだけど夢かもしれない。

 

漢方が切れてから精神科に行かなきゃと思い続けて1ヶ月経ってしまい、行かなきゃという気持ちもなくなってきた。学生相談室にも2ヶ月通えていたのに行かなくなってしまったし、毎日つけていた生活記録も途絶えた。今はツイートとスクリーンタイムとPayPayの履歴を見比べて、何日の何時に自分が何をしていたのかとか、どれくらい寝てどれくらい食べたのか、何にお金を使ったのか、ときどき確認しているけど、やっぱりある程度まとめないと何も見通せないね。記録が途絶えること自体は、後で見たときに「それくらい気力がなかったんだね〜」と思う材料になるのでいいんだけど、その時期のただ中にいると、こんなことも続けられないのか…と考えてしまうため、つらいですね

 

自分が一つの大きな神経細胞みたいな、そんな気がして、寝るか起きるかしかない生活 ここ何日かなのかここ数週間なのかあんまはっきりわからない こうなってからも外出の予定があるときはある程度頑張ってる 2時間のライブに1時間半遅刻したり当欠したりもしてるけど

 

 

Love, Dream, Happiness

LDHが愛・夢・幸せの略なの面白すぎる。別に知ってたけど改めて目にしたら面白くなってきた、ってことあるよね。同回の右翼の友達が奇抜な(そうでもないか)名前でYouTuberをやっているんだけど、LINEの名前もそれなの。昨日たまたま実験でペアになって、資料の写メを送ってくれたんだけど、誰だよ(笑)と思ってウケてしまいました。

 

今日のミス:新歓の買い出しで、飲み物担当になっており、絶対いらんのに車2台10人で行った挙句、紙コップを買うのを忘れた。

今日のサクセス:猥談のための猥談ができた。

 

今日は買い出しの担当になっていた新歓があった。本当は全部に出なきゃいけないくらいだけど、正直自分が出ないとおかしいと思われそうな新歓にしか参加できないでいる。今日も4日風呂に入っていなかったし、やり忘れていた仕事が多すぎて人と喋れる状態になかった。そんな最悪のコンディション下で(運の悪いことに)私に話しかけてくれる人がいた。新入寮生で、学部や趣味くらいの情報は新歓中の自己紹介か人から聞いたか何かで知っていて、話してみたいな、と思っていた人だった。すきな人と同じブロックらしい。私に話しかけてくるなんて、よっぽど何か困りごとがあるのかと思ったら、このブログを読んでいる、という話だった。私はまだ彼女のことをほとんど知ることができていないのに、相手は私という人間のおよそ面白い部分は全て知っていて、今後の付き合いの中では残り滓しか提供できないということが、なんというか、恥ずかしい。そして彼女が入寮して以降いちども更新していないことに気がついたけど、なぜだろうね…。更新しなくなってからの2ヶ月間のことを考えてみようかね…。

 

最近調子どうですか、と人から聞かれるたびに「最近は同じ曜日に働くことができています」と返している。それはいいですねと言われる。そして必ず「でも豊かさがないんですよね」と返すことにしている。あらあら、という顔をされる。ただそれは、「鬱を抜けてまともな生活と引き換えに感受性を失った」ということでもなく、月に6回くらいしかお風呂に入れないし、学習机の下が洗濯物で埋まったままだし、満杯のゴミ袋たちは退寮した先輩の生活空間だった場所を代わりに使っている。同じ曜日に働けるようになったとは言っても、時間ギリギリにしか家を出られなくて、タクシー代がほんとうにバカにならない。生きづらさって実はそれ単体では全く面白くなくて…

 

恋が人肌の温度になってきたからいけないのか?恋愛妄想に狂っていないと、私は面白くなりようがないのか?はたしてそうかもしれない…。だけど恋人と過ごすつまらない時間はセラピーのようなもので、つまらなくない瞬間がやって来るのを待望しながら貧乏ゆすりしたりしなくてよく、自分が退屈ぎらいのせせこましい人間だ、という事実を忘れることさえあるほどだ。毎回セラピーが成功するわけじゃないんだけど、母以外には今のところ、彼ひとりだけがそれをできる。

 

ああ、2月の帰省が良くなかったのかもしれない。10日間、バイトの休みをもらって夜勤から解放され、京都での暮らしに必要な全てのことを滞ったまま放置して、実家に逃げ込んだ。昼間に起きて、母が仕事から帰ってくる前に洗い物だけすませる。弟は夕飯のとき以外にはだいたい自室にいるから、夜は母と二人でこたつに入り、録画したテレビを見ながらしょうもないことを言って笑って、足を噛んでくる猫を触る。ずっと母の子供でだけいたくて、大人にならなきゃいけなくなったら死のうと思っていた、18歳の自分に再会した。両親の関係は修復不可能なまでに悪化しているから、家族全員で過ごす時間には緊迫感がはりついて、そのぶん母と二人で過ごす夜の、平坦なやすらかさにしがみついてしまう。京都に帰ったあと、ぐちゃぐちゃの自室に足を踏み入れて、心がへなへなと座り込むのがわかった。初めてホームシックになった。

 

そういえば、形のある希死念慮をもっていたのは中3のとき、高3のとき、寮に入ってすぐのころのある朝。最初のはいちばん子供らしくて、自分が傷ついていることを周りにわからせる方法は自殺しかないと思っていた。カルテットという連ドラを次の週も見たくて、死ななかった。高3のとき、自律神経失調がつらくて、医者に怒られるのが嫌だから心療内科にはもう行きたくなくて、理由のない息の詰まりや緊張を抑えられる方法を探していた。コンタックを用法量以上飲めば、緊張感が和らぐらしい、という情報を得て少量OD(4文字で矛盾)をしてみた。ODって首吊りとか飛び込みより出来そう、って思うようになった。大学受験に成功しても失敗しても、後に続く人生を乗りこなせる気がしなくて、自殺が一番まともなルートだと思った。大学生になってやりたいことはあったけどそれは整形で、整形したらうまく生きられるようになると思っていたわけでもなくて、死ぬ前に多少マシな顔になっておきたい、という意味に近かった。自習室で毎日、酔い止めODと検索しては、結局コンタックを買って少し多めにだけ飲んでいた。合格して、新生活の準備に追われて、熊野寮に入ったら楽しかった。寮に入っていくらか日が経った朝、思い出したように希死念慮が現れた。死にたい、というよりは、死ぬ以外の方法では私を解決できない、という気持ちがそこにあった。携帯を見たら母からLINEが来たところだったから、久しぶりに苦しくなったことを(どんな表現だったか忘れたけど)少し話して、その日死ぬのはやめた。

 

あれ以来、形のある死にたさには出会わない。すぐに片想いが始まったからかもしれないし、だんだんと「解決or自殺」の二択を迫られることがなくなったからかもしれない。私はままならない生活を送り続けるしかないのだ、とわかってきたから。というと思い上がりのような気もする。何かをわかったと思って起きている私と、何もわからないから起き上がれない私では、後者が私のデフォルトだ、と思ってしまうのはなぜだろうね…。私が比較的アクティブでいるときにはいつも、動けなかった日々に私が考えていた色んなことを、自分ごととしてわかることができない。悲しくて、最近調子がいいなんて思ってるのは夢遊病と一緒だ、と思う。タクシーに高い金を払いながら、毎週同じ曜日にきちんと働いて、まっすぐには歩けない未来、つまり足を動かしはしているはずの未来を想像している。私が彼に向けるのと同じ類の愛情を、恋人も私に注いでいるのかどうか、しつこく追及するのをやめて、彼と共にする時間の中にやすらぎを見出しながら、甘い家族の夢をみているのだ。本当の私はもっと、いつも鬱屈として、神経質で遠回りで、そして豊かな人間だったはずなのに。そんな夢をみている。

日記

最近機種変をした。ついでに新規で回線契約した。今私の携帯電話には番号が2つあります。足したら170-6178-1380です。電話番号が2つあると、Uberのアカウントを2つ作って片方の招待コードを入力することで両方のアカウントで1800円ずつクーポンを取得できたりする。これを使って恋人とグラコロを食べた。最近訪問介護を始めた。昨日は夜勤だった。夜勤明けにはいつもセブンで食べ物を買い、禁煙の公園で一服します。子供かその親か老人しか来ません。間(あいだ)がないです。私が必死に過ごしている時間って私にとって間(あいだ)なんだ こわ セブンイレブンの食べ物の中で最近ハマっているのは、おにぎりランチ 温めてもらうと本当に美味しくて涙が出そうになるけど「これが夜寮食より高いのおかしいだろ」と思って我に帰る 今日公園でタバコ吸ってるときにさーなんか鳩がめっちゃ怖くてさーなんかものすごい量のお湯を見たり中に入ったりして、あとなんかすごい勢いのお湯に腰を打たれたりとかクソ暑い部屋に入ったり出たりしたら気持ちがよかったです 2ヶ月くらい前に超かわいいアンケートフォーム作ったんよ そしたら後ろから挿入したいとかち○ぽいれてあげるとか私が金髪でよくワンピース着てて喫煙所にいるとか送られてきたから開示請求したかったんだけど、無理だった 裁判官に電話でなんかちょっと怒られてなんかほんとごめんなさいこんなんで 3日前くらいに風俗業界に復帰した。今までほとんど体触られない業種しかやったことなくてクリスマスに初めてがっつり触られる仕事して一人目の客が70か80くらいの老人だったんです。なんか知らんけどいい人でも老人はメンタルやられる、検索したら泡姫の人もそうツイートしてたからたぶんみんなそう。Qoo10で延々スキンケア見ながら化粧落とさずに寝るし週1しか風呂入れない。出勤前は本気で風呂入るし剃刀負けで全身痒いからやさしくしてねっ

 

アドカレ書いてない

 

 

 

 

 

 

 

 

4/30

朝まで起きていたら、外から渚のイントロみたいな音がした。

左膝によくわからない形の虫刺されがある。ふくらみ方が蚊っぽいけど、ふくらみの形は、都道府県みたい。

乾かしたすぐあとの髪をずっと縛っていると、解いたときにいい匂いがする。

春だから昼間にお出かけしたい。明るいところを歩き回るのは苦手だけど、去年の今頃友人と、鴨川で鳥の写真を撮ったり御所でドーナツを食べたりしたことは、よく思い出していい気持ちになる。

花を見たい。今年は桜を楽しむのを忘れていた(なんてこと…)ので、梅雨が来る前に挽回したいと思っている。

寮の花壇に植ったチューリップが、そろそろ満開に近くなっていて、通るたびに「うわ、また開いとる」と若干がっかりし、気持ちが悪いなと思い、でも嫌いではないので、しっかり目を留める。

私はチューリップの蕾が好き。ころんとしていてかわいいし、そのまま噛んだらしゃきしゃきと音がしそうだし、おさなごが目をきゅっとつぶっているみたいな感じがして。

そういえば、花壇にチューリップが咲いていることは、好きな人が教えてくれてはじめて知った。私の好きな花として覚えられているのがうれしい。こゆぴが「私だって教えようと思ったよ」と言っていて、いとしかった。

好きな人が送ってくるなにかしらの風景の写真がぜんぶ良いので、それだけの画像フォルダを作った。そうして眺めてみると、青みが強い。印刷するとしたら、光沢のあるやつではなくて、さらさらした紙がいいだろうなという感じです。

また4月が

きたよ…やめてほしい…春は出会い(負担)と別れ(負担)の季節♪早く秋になってほし〜。

春に誰かと出会わなければならないのも、春に誰かと別れなければならないのも苦痛だ。私の肌に何かの芽がねじ込まれ育っていくような、そして育ちきったそれを、自然に枯れるのを待たず刈り取られるような、そういう痛み。

知らない間に空気が暖かくなってきて、身の回りに知らない人が増えた。知らないだらけだ

この1年間は何も思い通りにことが進まなくて、迷路の行き止まりに布団を敷いて寝泊まりする生活といった感じで、それなりに楽しく、それなりに得るものも多かったような気がする。ずっとそこにいてはいけないらしい。布団を畳んで引き返し、正しい道を探しに戻るのは大変そうでたいへん嫌だ。たいへんだらけだ

熊野寮というところ自体、行き止まりの中に建てられたものなのではないかしら。もしくは建てられたあとで、行き止まりとして機能するようになったのではないかしら。私はずっとここにいたくて、だけどなるべく早く出ていかなければならないような気も、常にしている。そしてこのせめぎ合いは年々激しくなるのだろうという予感がある。年々、というのは、私がなにかに堰き止められながら他のなにかを堰き止める、そういうものになっていくにつれて。

新入寮生というひとたちはみんなきらきらして見える。新入寮生と呼ばれていた頃の自分がどんな眼差しを向けられていたのか、つい想像してはさみしくなったり。私というキャラクターはあまり、一目惚れしたとか、なんとなく面白そうな人だと思ったとか、そういう評価を受けない。なんの原石でもないが、かかわるひとたちが勝手に磨いてくれることが多く、そういう運の良さは気に入っているけど。最初から瑞々しくひかっている人を見ると、つい羨んでしまう。そして私はとてもあさましい、恋愛中毒の女なので、いやな心配をしてしまう。要は、私を眺めるうちにひかって見える角度を見つけてくれたのであろう好きな人が、そんなふうに手間をかけなくても輝いているのを観測できる人、の方を選ぶようになるのではないかという心配。まあそんなのは、春であっても春でなくても起きてしまうことだけど。私よりすてきな人なんていくらでもいて、それは元々わかっているけど、これ以上知り合わないでいてほしい、なんて自分で言っておいてなんだが酷い話だな。何にも縛られないで、どこにも閉じ込められないでいて、と思っているので、さっき書いたのは全部うそです。

携帯の液晶割れてる

私のゆく年がゆくのも、もう20回目。2020年はぬるっとやってきて、客のくせに主人の私をめちゃくちゃ振り回し、壊したものも直さず、平気な顔でゆこうとしている。お客様は神様です。私のくる年がくるのも、もう20回目。2021年はもしかしたら行儀の良い客かもしれない。「いつも綺麗に使って下さってありがとうございます」みたいな貼り紙しとこうかな。

 

晦日を家族と過ごさないのは初めて。もうすっかり夜だけど、今日はまだ布団から出ていない。夕方目が覚めたとき、もう明けたかと思ったくらいよく寝た。友人と2人だけで忘年会をしたので、そしてそのあと登場人物が多すぎる映像作品の、概要がわからなさすぎる第一話を見たので、ぐっすりだった。2020年のことも、ゲームオブスローンズの人物関係も全て忘れた。昼のあいだずっと見ていた夢の中で、誰かと会話をしているとき、「ゲッコウガ」という単語が聞こえたが、2021年の私がそのキャラクターへの思い入れを強めることはないでしょう。今年の成果、好きなタイプの備考欄に「スマブラが強いと尚良し」が追加されました。こうなるともう完全に思い出。悲しい。私は彼のことを好きな1回生の女として生活することに慣れすぎて、未だにその仕草を続けてしまいます。その人に恋しているあいだは言葉が溢れて止まらなくて気持ちよかった。おかげでブログが気持ち悪さを増し、書いているときに感じる居心地の良さも倍になった。今年もフリック入力ばかりしていたな。来年の抱負、パソコンの使い方を覚える。

冬寒すぎ

最近、長い充電ケーブルをなくしたので、充電中の携帯がベッドに届かなくなった。20%くらいになるのを待って、冷え切った携帯をのそのそ取りに行き、毛布の中に潜り込むと画面が結露する。部屋の中どころではなく寝床にまで冬が来た。数日前までは裸足にサンダルで銭湯まで行って帰ってくることもできたのに、信じられないくらい冷え込んできて、肩をすくめて喫煙所でタバコを吸うあいだ、吐く息が白いのか、肺に残った煙が白いのかわからなくなる。

どの季節の私も洗濯は苦手で、布きれの山の中に何足の靴下が埋まっているのかすらわからない。さすがに裸足で動き回るのはつらくなってきて、祖母から送られてきた「衣類」と記されている段ボールを漁ると運良く1足見つかった。紺色でアーガイル柄の、コンビニで見たことのあるやつ。母から届いた荷物にも「食品、衣類」と書いてあった気がして、同じように期待してみるが、足首までの着圧スパッツしか入っていなかった。そういえば、ふくらはぎのむくみをはっきりと実感したことがない。(顔まわりのそれには敏感なのに。)むくんでいるとか以前に、ぽちゃぽちゃしていて柔らかすぎるから。バレエを続けていた頃にくらべると、特に膝より下はずいぶんだらしない形になった。ドゥミ・ポアントで生活しようかな。

なぜ「つま先立ち」と言わずにわざわざバレエ用語を持ち出したのかというと、バレリーナが「つま先立ち」をすると聞くと、トウシューズを履いて爪の先に体重をかける動作がイメージされるのでは、と考えたから。そういうのはポアントといって、いわゆる 「背伸び」、指全体に体重をかける形のやつはドゥミ・ポアントといいます。ただ、背伸びをして生活する、と表現するのもなんとなく嫌だ。私の生活の形に、あまりにもそぐわない。さっき自分で自分のことをバレリーナと称してしまったことに気がついて少し恥ずかしい。バレエ経験者と名乗るのはもっと恥ずかしい。バレエを習っている子、だった頃のことを思い出すのは楽しいかもしれない。寒い季節は足の指が全部しもやけになって痛かったな、とか、つま先とかかとに穴が空いた形のレッグウォーマーを履いていたな、とか、冬といえば『くるみ割り人形』だな、とか。

くるみ割り人形』の主人公はクララといって、バレエ雑誌の名前にもなっているのだが、物語の主人公であるクララと、彼女が夢の世界で出会う金平糖の精という理想の女性、その2役は同じダンサーによって演じられることが多々ある。私だって空想好きの少女だったというのに、そんなすてきな構成の舞台は夢見たことがない。ただ甘い夢を見るのにも才能が必要らしい。ちなみに日本では金平糖の精と訳されている彼女は、本来はドラジェという砂糖菓子の妖精だ。父の職場の近くにエメ・ル・シャットリーという洋菓子店があるのだが、なにかしらの用で菓子折を買うときなどに、ねだると時々買ってもらえたおいしいもの、あれの妖精だったのかと今Wikipediaを読んで知った。懐かしい気持ち。これを読んでドラジェを画像検索するよりもバレエを見てほしいので、ちょっと気になりそうなことを書くとするか。金平糖の精のヴァリエーションってハリー・ポッターの映画で流れてそうな曲だな、と聴くたび思います。

いつのまにか今年もあと2週間、どんどんクリスマスが近づいてくるので、特に何か予定があるわけでもないのに私はとても浮き足立っている。クリスマスといえば明後日、参加しているアドベントカレンダーに2つ目の記事を投稿する予定があるのに、また文章を書く体力を消費してしまった。本当にめちゃくちゃ浮き足立っているので。今の私はとにかく誰かに贈り物をしたくて仕方ない。弟の欲しいものはわからないし、友人に突然ものをあげると気を遣わせるし、恋人もいない。あ、私が先に貰えば心置きなくお返しができるのか、と今気がついた。みなさんへ、素敵なプレゼントをお待ちしています。