部屋が寒い

だいたい寝ています 起きている間のことを書く

拝啓この手紙(涙)

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2023(https://adventar.org/calendars/9087)の18日目の記事です。毎年書いてるけど過去の記事は非公開にしちゃってたり消しちゃってたりするなあ。昔の私は楽しそうに文章書きますね。

 

てか、1回生の私みたいに可愛げのある文章は書けなくなった。季節のことも好きな人のことも幼い頃の思い出も、あんなふうにはもう書けない。思えば熊野寮での4年間は何を聞いても何を見ても、19歳の自分が捉えた景色を下敷きにして考えることしかしてこなかったような気がする。つまらなくなったのは当然の帰結だと思う。いまの私が送っている生活とか、1回生の私に教えてあげたらがっかりされるような気がする。でも書くことないし書くね。

 

あなたはよくチャリの鍵をなくしていたけど、私はチャリ本体をなくして全く乗らなくなったよ。鍵は使わないからなくさなくなったよ。あと、チャーハンを作るのがちょっとだけ上手くなったよ。ポテチに生クリームをかけて食べるやつはもうしてない。喫煙所にいる人たちと朝まで話すようなことは滅多になくなって、部屋にいる時間は相変わらず結構長い。でもあなたよりはよくコンパとかにも出てるかな?

 

後輩ができることに不安を感じてるかもしれないけど、3年も上回生をやってると懐いてくれる人もたくさんできるよ。あなたは確かに後輩気質ではあるんだけど、年上が多い環境に適応しようとしてそうなっているところも多分にあると思うの。後輩が増えてきたら自然と、舐められてるダメな上回生の振る舞いをするようになって、それを許してくれる人たちと仲良くして、意外と楽しく生活できるよ。あとは、6個とか7個上の先輩だけじゃなくて年の近い女子寮生と友達になれる機会が年々増える。あなたがやろうとしてる新歓はちゃんとうまくいくし、今のところ続いていってるよ。寮を好きな気持ちは残念なことに年々小さくなっていく。でも入ってよかったっていう気持ちを撤回とか修正する気になったことはない。

 

好きでもないバイトは今すぐに辞めたほうがいい。あれから麻雀を打ちたいと思うことなんて一度もありませんでしたから!

 

夏が苦手で冬が好きなのも飽き性も冷え性も恋愛体質も変わってないけど、どれもあなたほど似合わなくなったよ。顔は全く変わってなくて、太りも痩せもしなかった。夏はいつも派手なワンピース。おばあちゃんに作ってもらった服は今も着てる。夏といえば、あなたが夏に旅行なんてありえないと私も思うけど、実は結構楽しめるほうだった。湖水浴場って石が多いんだよ。

 

一番悲しいこと、私はあなたみたいに、綺麗だと思ったものを覚えていられない。今年見たものなら、キンミヤの水色、後輩とトラックの荷台に乗って西部に行ったときの、思ったより星がよく見えた空、答志島で拾った貝殻、好きな人の目頭の形とか、小松海佑の新ネタライブのフライヤーはずるいかな?それくらい。難しいこと考えるのは苦手だよね。私はもっと苦手。人のそばにいるのが好きだよね。私はもっと好き。あー、あなたに勝てるところが1つだけあるみたいでよかった。

 

あなたは私よりもずっといろんなことを考えて、死にたくても一生懸命やり過ごしてたくさん寝て、思いついたことはとりあえずやって、ちょっと楽観的すぎるくらいで、なんか、ほんと充分だよ。それ以上にやるべきことなんて何にもないけど、何かひとつ提案するなら、家族のことをもっと考えてみるといい。家を出る時に自分が何を心配してたか忘れないで、帰省のときには必ず弟とご飯を食べて、飼い犬が死ぬ時のことをたまに想像して。時間がかかることは先延ばしにしていいし。

 

つまらないのを怖がらないで、これからも何でもこのブログに書いてね。私ももっとここに来るようにするよ。

近況

・この10月から休学しています。重度訪問介護の仕事を週3〜4日と、知的障害のある人たちのグループホーム世話人を週1日やっています。この生活はかなり気が楽でいいです。このまま中退したいなと考えていたけど、もう一回復学して卒業に挑戦してみた方がいいかも…と思いはじめた。まだわからない。上司に相談したいなと思ってはいるけど、日和って全然連絡できない。がんばれ〜。

 

・なんか人生で初めて年下の人を好きになってしまいました!まじでかわいいんだけど〜どうしよ〜って毎日思ってる!私のような人間が後輩に手を出すのは重犯罪だと思って生きてきたんだけど、まあ密かに好きでいるとかをできるはずもなく、事故りました!でもなぜか嫌われてない!不安!

 

・最近やりたいこと→編み物、はんぺんとキャベツの煮物にしいたけの粉末を入れてみる、クラマトを買ってきてブラッディシーザーをつくる、一乗寺アルザスにみんなと行く、似合う服を買う。

雑記

私がどっかいっちゃわないようにいつも心配してくれる天使がいてほしい。人にそれを求めちゃわないように、ちゃんと1人に1天使がいてほしい。恋しなくていいように、漫画みたいな親友なんか欲しがらなくていいように、親離れできるように、誰も副業とかネットワークビジネスとかをやらなくていいように。

 

人と話していて思ったこと:なんか中退したいのと退寮したいのは直接関係ないし、寮のキャパを圧迫するのがどうとか全く思ってなさそう。自治に参加(しようと)できてた頃は、私の信じる人間らしさを体現できる瞬間がたびたびあったけど、もうできないから、生ゴミになっちゃったのにまだここにいるってのが苦しい。寮生のこと大好きだけど大好きなのが本当に寂しい。でも結局しばらくはここにいるんだと思う、自分が急激な環境の変化に耐えられる強い生き物じゃないのは自覚してるから。ここまで考えて、結局2022年5月から何も前に進んでいないことにまた気づいた。ずっと気づいてはいたはずなんだけどね。

 

:中退したいのは高校中退したかったのと一緒で、いても意味がないっていうか、恵まれた環境にいるのに自分の怠惰のせいでそれを全く享受できないでいるのが、虚しいから。高校は大学受験のための通過点だったから、結局志望校に受かったことを考えると辞めなくてよかったかもしれないけど。大学は、どうなんだろうね。京大生になれたらもっと嬉しいのかと思ったけど、普段は何者でもないわたしがただ寮に住んでるって感覚で、本当に所在ない気持ちにばかりなる。生活の中であーいま生きてる、わたし人間だ、って思うのは働いてるときだけ。大学生である必要は全然なくないか?今お世話になっている利用者さんの生活を支えていることが唯一の誇りだし、できればこれからずっとそういうふうにして生きていきたい。これって極端な思考なんだろうか。

 

:22年間わたしという人間役をやってきて、お金をもらう仕事やもらわない仕事(寮とか)、仕事だと思われている仕事や思われていない仕事(風俗とか)をいくつか経験したけど、わたしの時間がこの仕事に使われてよかった、わたしがいてよかったと思えたのは今やらせてもらっている重度訪問介護の仕事だけだ。大抵は、若いわたしの時間をこれに使うのは本当は勿体無いんだろうなと思うか、無能なわたしがいない方が捗っただろうなと思うかしかないです。幼い頃からきっと世の中の仕事の大半がそうだろうという絶望と一緒に生きてきた(本当です)から、今ってまるで奇跡を体験しているようで、こんな思い込みはやがてひっくり返されるのかなとも思うけど。

 

:好きな人がどんなふうに育ってきて、いま何を考えていて、これからどんな人生を歩んでいくのか見ていたいし知りたい。在学中に急にデキ婚、とかだけはしないでほしい。健康でいて長生きしてほしい。それくらいしか望むことないのに何をやってるんだろういつも。1つ目が大それすぎているのが悪いのかもしれない。2つ目も、片想いの分際で願っていいことではないかもしれない。3つ目も、人によってはかなり嫌がられるかもしれない。

8月はじめ頃の日記

8月になった。今日は江州音頭の稽古をつけてもらう日。全然自分で練習できてなくてやばいし、確か事務当番と時間がやや被っている…早くなんとかしなければ。

 

昨日は夜寮食を食べるのに3時間くらいかけてしまって、食べ終わるまでの間に好きな人と2回すれ違った。目は合わなかった。声は聞けてなくて、とりあえず好きだ

 

全然寝付けなくてやっと寝れたと思ったら全てに寝坊してしまい、起きた瞬間から調子もめちゃくちゃに悪く、最終的にはDXMを300mg入れる事態になりました。好きな人にパキパキのLINEを送りたくなかったので先に連絡してブロックしておいてもらい、しかもバッドに入りかけるたびに乗り越えて偉かった。後輩にばかり迷惑をかけたので偉くなかった。

 

朝方かなり抜けてきてお腹がすいて、でも食べ物の匂いは気持ち悪くて、こういう時はさけるチーズに限る。

 

だんだん冷静になってきて、自分の首を絞めるようなことばかり繰り返している自分に嫌気がさしてきた。毎日そうだが。

 

ひとりの人間に依存して2年半くらいをやり過ごしてきた。その人を失ってしまったので他の物質でなんとかしようとしたけど酒も咳止めも私に構いきってくれない。

 

部屋の後輩が二十歳になった。これからは一緒に酒を飲めると思うと死にたくなる。パキパキの私を見せているとはいえ、これ以上醜態を晒したくないし迷惑をかけたくないのにな そんなんも全部嘘かもしれないから死にたい

 

好きな女の子を楽しませたいのに自分が愚かすぎるせいで提供できる話題が一つ減った。好きな人は私のことを心底面倒に思っていてそれ自体をちゃんと悲しみたい。他の誰かに面白がってもらうことで無理やり息をするのをやめたい。本当はやめたいとか思ってないのかもしれないのが情けなくて死にたい。好きな人によく思われたいと思うことを上手にやりたい。それが叶わなくても!叶わないのが最初から分かりきっているのがつらいから嫌われにむかってしまうんだろうねって言われなくてもわかってるし言ってるのは自分です。

 

自分のことを恋に狂っていないと面白くない女だと思っていて、でもその状態の自分は誰に対してもその話しかできなくてかなりつまらないと思っていて、だけどそれもできないならいない方がいい。、と思うのは間違いだと知っていて、つまらなくてもみんなとお話ししたいのはわがままだと思うから八方塞がりで、これ以上誰にも嫌われたくないと思うのがいちばんみっともなくて恥ずかしいってこと。殺してくれとかいうのがいちばんつまらなくて、面白いことは何も思いつかなくて、眠るしかない時間にうまく眠れないんです。かわいい後輩が羨ましいからそうなりたかった。好きな人が浪人したのが悪いってことにはできない、同期じゃなかったらきっとそんなに話すこともなかったから。

 

家にパソコン音楽クラブが来て嬉しかった。家がお祭り騒ぎだと本当はちょっとしんどい日もあるけど、こんなに嬉しいことがあるなら全然よかった。

 

好きじゃなかったら仲良くしてもらえてたのかな?でも好きでいたいので会話不可能のほうを選びます

MK5

恋人と別れて、生活の中に何も楽しみがない。飲みに行ったりお笑い観たりはできるけど、それは日常の外にわざわざ作る楽しみだから、好きな人を好きじゃなくなったぶんの穴は埋められない。他に好きな人ができるまでの間だけでいいから、私を転がしてくれる都合の良い存在が現れないかな、などと妄想するしかない。そんな人はいない

 

架空の恋人(セックスと車の運転が上手い、生活習慣のしっかりした、末っ子属性の年上男性)と森ノ宮よしもと漫才劇場とかに行きたい。大阪城公園でダマタベと同じものを食べたりしたい。なんか工藤祐次郎とかを聴いててほしい。それか、GREAT3とか…。別にBIMとかフレシノとかでも全然いいけどね

 

この夏架空の恋人としたいこと→鴨ビ(変わらずランクイン)、浴衣を着てもらう(ちょっと渋られたい)、ドライブ(ドライブ以外に目的がないやつ)、露店で指輪を買う。花火。ラムネを開けてもらう。スイカの種を取ってあげる。なんかの日になんかの願い事をして、お互い教えない。チャーハンを作ってもらう。喉が渇いた状態で喫茶店に入ってしまい、アイスオレをすぐに飲み干して後悔する。首の後ろに日焼け止めを塗ってもらう。ビオレの汗拭きシートを貸してあげる。タバコやめなよと言ってもらう。全然やめない。私がご機嫌になってMajiでKoiする5秒前を口ずさみ、広末涼子の話で盛り上がる。恋人の前でだけ広末涼子みたいに可愛くなる。

 

 

2022年ふりかえり

この記事は、Kumano dorm. 2nd Advent Calendar 2022 - Adventarの14日目の記事です。

 

 

 

2022年は爆病み大慌て春、虚無の夏、落ち着きの秋、踊って元気な冬を過ごしました。必要を感じたので残しておきます。

 

1.春

前回記事よりあとのこと、寮内で板挟み係の仕事に疲れ、躁鬱の波に飲まれ、精神崩壊。嫌いな人ができるのが悲しくて、人にうまく怒れなくて、泣いてばかりいた気がする。私は守銭奴みたいな熱量で人との関わり、そのチャンスを大事に集めていて、人のことを嫌いになるのが一番怖いことだと思って生きている。好きな人を嫌いになるのは簡単なのに、一度嫌いになってしまった人を好きになるのはすごく大変だから。好きになろうとする気持ちが残っているなら、私はその状態をその人のことが嫌いだ、とは表現しない。なるべくなるべく、人のことを嫌いだと言わないように、苦手だなって思っても「このままだと嫌いになっちゃいそうだから、好きになりたい」みたいな呪文を唱えてしまう。

 

この頃まで、私は人の話を聞いてそっとケアしてあげることしかできないし、それをやらなければこんな役立たずは寮というコミュニティに存在していてはいけない、と思っていた。それは今でも変わらないかもしれない。この頃ほど思い詰めていたのは、後にも先にもないけど。

 

人生で三度目くらいの、ぼんやりしてない希死念慮がやってきた。死にたいと思っていることを認めるのが怖くて、久しぶりにコンタックを入れた。死にたい気持ちを手で触りたいような気もして、ロープを注文した。効いてくるのに時間がかかるから、食堂を歩き回って、部屋に戻って、人と電話するためにまた部屋の外に出て、歩き回ったのがよくなかったのか、途中で追加したのがよくなかったのか、精神状態がよくなかったからか、バッドトリップした。倒れたところを人に助けられてトイレに向かい、白黒青のバチバチした光と共に立ち上がって、そのあと妄想と現実を高速で3往復くらいした。人に心配と迷惑かけてただ気持ち悪くなって、ものすごく後悔したけど、その後も落ち着かなくて、突然尾道に旅行に行った。気候がよくて、光がきれいで、ありがたかった。居酒屋で隣に座っていたお姉さんと話し込んでベロベロになって、店主の人の知り合いのゲストハウスに運び込まれた。談話室があって、そこで優しく諭されながら号泣していた記憶がある。たぶん半分妄想で、なぜならその記憶の中でわたしは、みんなが海に出て死んでしまうことが悲しくて泣き喚いていて、お兄さんとお姉さんは、それは悲しいことじゃないよ、そういうふうになっているんだよと諭してくれて、なんだこいつら、ミッドサマーに出てくる村人みたいな顔してんな、と思ったの。悪い夢だったのかも。朝、知らないベッドで目が覚めて、助けてくれたはずの人たちが悪い夢のせいで妙に気持ち悪くて、急いで京都に帰った。寮に帰ってしばらくした頃、お姉さんから絵葉書が届いた。嬉しかったけど、先延ばしにしているうちにとうとう返事は出せなかった。

 

このあと、大学の学生相談室にしばらく通い、精神科にもかかった。とても良い時間を過ごせたけど、思っていた通りあまり長く通い続けられなくて、急にまた行くのも間のことを説明するのがしんどいな…この頃ほど困ってないし…で行けず、今に至る。

 

楽しいこともあった。この春にKMN48としてくまのまつりに出演した思い出が、冬の私を元気にしてくれたのだと心から思っている。

 

2.夏

寮の仕事をしなくなって、あらゆるまじめな話をしている人がこわくて、近づけなくなる。それでも夏休みは充実していた。ADC合宿なんていう、苦手なはずの大人数旅行にも参加したし、恋人の誕生日もお祝いできた。水着も浴衣も着て、プールにも祇園祭にも行って、だけど楽しい行事の途中もなんだかそわそわして、寂しかった。

 

母親はずっと、モラハラ気味の父と離婚するつもりだという話をLINEしてきていて、それに疲れていた部分もあった。私以外に相談できる人がいなさそうなことも心配だったし、私がうまくケアしきれる自信はそもそもなかった。何より、緊迫感ではりつめたあの空気の中で暮らさなければならない弟のことを思うと、早く帰って負担を減らしてあげたいと思った。私がいれば家族4人で食卓を囲んでも無言にはさせないし、全員が孤立して生活を送っているであろう家族たちに、せめて息抜きをさせてあげられる。多少つらくても、猫に会えるだけで幸せだ…そんなことを考えていたが実際には、帰省は思っていたよりはるかに実りある時間だった。

 

ある日、弟と猫を眺めていたら、父が居間にやってきて、それまで一度も父の口からは話されなかった、母との関係性についての説明がはじまった。父はこれまでこんな話を子供に聞かせるものではないと思って話さずにいたようだが、私も弟も、父の人柄は理解しているのでなんら納得いかないことではなかった。母とはほんとうに全てが対照的な人だと思う。母はいつまでも私たちの世話を焼きたがって、まったく子離れできていないようでもあり、私たち子供のことを子供だと思っていない、つまり親と子の関係が対称なものではないということを気に留めないようなところもある。夫婦間で起きる諍いで負った傷を、子どもにケアさせることにも躊躇いがない。あまりお互いに干渉しない家庭で育った母、田舎で長男として生まれ親戚付き合いを大事にしている父。母は「人それぞれ」という言葉で全て片付けようとする、とぼやく父は、弟が実家を出るまであと2年、家族4人の過ごしたこの実家を、ハリボテでもなんとか守りたいようだった。私も弟も、もう無理だと思うよとしか言えない。母は一刻も早くこの家を出ていきたいと思っているし、毎日のように新たなエピソード付きでその気持ちを聞かせられ続けている私には、離婚の決意を揺るがすことはできないように思われた。いや、父が強く主張すれば母は折れるだろう。このふたりは対話に成功したことが一度もないのだ。母は、父の言うことには逆らえないと思っているから何を指摘されてもはいと言う。できないことも、今度からそうしますと言う。そしてまた何も変わらず、母が同じミスをして父が怒鳴り、これの繰り返しだった。人格否定を続けてたら、なにかものを言える関係なんか一生築かれなくない?と父になにかものを言う勇気は21歳になるまで生まれなくて、私にできることはなにもないままこうなってしまった。

進学で家を出る前、弟の前で喧嘩しないでくれと頼んだけれど、衝突を避けた結果あの無言の食卓が生まれてしまったらしい。弟は人とご飯を食べると味がしないようになったという。母だけではなくて私も弟も、こんなに心休まらない家で全員が苦しみながら生活するより、離婚してくれた方がずっと幸せだと思っている。父はショックを受けたように、家族にこだわっとったのは俺だけやったんやな、と言った。一家の大黒柱として20年間働き通しだった父の体は、ついに限界を迎えてしまったらしい。家族と過ごす時間も満足に持てないまま、体を壊してしまった今、母が弟と猫を連れて出て行ってしまったら。「ママとはもうやっていけんと思うけど、この家がなくなったら家族が集まれる場所がなくなる。場所がなくなったら人は集まらんくなるんや。本心がどうであれ、仲良いふりをすることぐらいは俺たちにも、大人なんやけんできるはずや」と言われて泣いてしまった。この人とちゃんと話せるようになるために、熊野寮に入ったのかもしれないと思った。

 

思えば家族の思い出のほとんどが、母娘息子の3人で過ごした時間だったかもしれない。少なくとも親たちにとってはそうだろう。父にとって家庭とは私たち3人のことだっただろうし、母が守りたいのは4人の時間ではなくて、私たち子どもだっただろうから。だけど私が覚えている実家の風景は、たとえば3人で晩ご飯を食べ終わって、しばらくすると父が帰ってきて空気が変わり「お父さんの時間」になるところまで含めた平日の夜だ。お父さんと過ごすのはいつも少し気まずくて、だけど、母と話すのとは勝手が違うのなんて当たり前だよなと思えるようになった。

 

結局、離婚はしないことになったらしい。父の生命保険の受取人を母から私に変更する手続きまでさせられたのに、離婚しないんだ!?

 

実家から寮に戻ってくるとやっぱり虚無だった。

 

3.秋

肌寒くなってくると少し落ち着いてくる。今の自分は寮自治に興味がないということを受け入れるのに半年近くかかった。私は私が思うとおりの寮生ではなかった。

 

自治にかかわるあらゆる話題と、自分が関係ない感じ。アンチになったわけでもなく、ただ自分が考えてきたことのすべてから実感だけが抜け落ちて宙吊りになってしまった。どんな会議に出ても、大切なことを話しているのは分かるけど、私は一人よそ者が紛れ込んでしまったような感覚に襲われて息がうまくできなくなる。違う部活のミーティングに出ているみたいだという比喩がしっくりきている。でも、たとえば寮をなくすべきだと思うようになったわけでもなく、実力闘争に反対するようになったわけでもなく、自治なんか迷惑だ、静かに生活させろと思うようになったわけでもないのだ。2年ちょっとかけて理解してきた寮の理論、自治の理念、私の思想。そういうものがほぼ完成された状態で、寮生という輪の中から弾き出されてしまったような。それは私の中から自治参加という機能が失われてしまったことを指した。人は社会の中でしか生きられなくて、人との関係の中でしか能力は発達しないし発揮されないと私はふだん考えている。私が自治参加の能力を発揮できなくなったということは、私が寮という社会の一員でなくなったのと同時で、というか同じことだ。何を話そうとしても、過去の自分が考えたことをなぞって話すことしかできなくて、今の私はそんなこと微塵も思っていないのに、すらすらと口から出てくる言葉が気持ち悪かった。私は確信している内容を話そうとする時ほど、言葉がうまく出てこなくて、話す速度がゆっくりになるのだった、と思い出した。

 

4.冬

KMN48に誘われた。2年ぶりの、私にとっては初めての対面開催NF。はじめ、NF経験者とそうでない3回生以下メンバーとの間にはかなり温度差があった。私も今年の春に初めてKMNに参加したし、勝手がよくわからなかった。今まで仕切ってくれていた先輩が色々やってくれるもんだと思っていたし、私が突然出張るのも違うかな、なんて呑気に考えていた……が、練習し始めると楽しくて、勝手に振り入れを担当し始める。元々アイドルオタクで48グループ全盛期が私の青春だったから、セトリを考えるのなんかも楽しい。やり始めると衣装にも多少こだわりたくなって出費が増える。あれ?50分の公演やるのにこんな練習量で間に合う?やばくね?→珍しく私がちょっとピリピリするほど本当にやばかった。バイトを休んでドタバタ練習したりうちわを作ったり。慌ただしかったけど、練習の中で後輩とも話せるようになり、何よりみんなと過ごす時間、そして一人黙々と練習したりアイドルについて考えを巡らせたりする時間が、虚無の毎日で曇ってしまった私の精神をきれいに晴らしてくれた。本番のことは色々なところで書いているので割愛。今は2023年のKMN48をどう楽しくしていくかで頭がいっぱいです。自治やっちゃう系アイドルの名の下に活動していくんだ俺は…という意識のおかげで、少しずつ自治のことを考えるのが苦じゃなくなってきた。これが本当に驚きで、KMNありがとう…私を救い出してくれて…と思っている。

NFのステージから見た景色はあんまり覚えていなくて、それはバレエを習っていた頃、遠くを見て踊りなさいと教わったのを徹底しているからなのかも(そうすると人の多さにあまり動揺せずに踊れるしね)。だけど、みんなが盛り上げてくれる声はずっと聞こえていた。テニサーの人とか、見に来てくれていた初対面の寮生が、終わった後話しかけてくれたのも嬉しかったな。MCはアジテーター達に任せれば大丈夫、と思ってあんまり喋らなかったけど、私も言いたいことが結構あるかも、と今になって思う。

まず、性別も学籍も関係なく一緒にアイドルとして踊れるKMN48であることに誇りを持っている。ダンスなんかやったことなくても、ちょっと間抜けな動きでもいい。かわいいなんてキャラじゃないと思う人だって、私たちと踊れば絶対にかわいいはずだ。KMNメンバーに向けられる「かわいい」は、熊野寮の新歓で、みんなの出身校に向けられる「めいも〜ん」みたいなもので、誰々より上とか下とかじゃないし、だけど本当に何の意味もなくふざけて言ってるだけじゃない気がしている。「めいも〜ん」って叫ぶとき、どんな学校であろうと熊野寮生を輩出した名門だと思っているから………

それと、KMNの盛り上がりは内輪ノリの「しょうもなさ」が持つエネルギーの大きさを証明してくれるから嬉しい。アイドルオタクってしょうもなくて、普段はただ顔がいいだけじゃなくてスキルがどうとかこのグループは曲がいいからとか、立派に説明しようとするくせに、レスをもらうと誰でもすぐ好きになってしまう。しょうもないことに命を燃やして、財布も気持ちも振り回されて、そしてオタクはアイドルを目の前にしたときだけ尋常じゃない熱量を見せてくれる。KMNのライブだってしょうもない。寮生が見に来てくれるのは知り合いが出てるからで、いつもは憎たらしいあいつがなんだかコミカルな動きをしている、やたらにかわいいニックネームを名乗っている、それを面白がっているだけなのだ(たぶん)。だけど内輪の寮生たちが本気で盛り上げてくれるおかげで、ステージ上でKMN48は本当にきらめくことができる。本物のアイドルみたいとまではいかなくても、そこにしかない輝きを見せている。

熊野寮のイメージアップを目指してできたKMN48だけど、結成当初に比べて寮の好感度はどうなってるんだろう。2010年に比べれば、弾圧は強まっているわけだから、より"危ない"寮になったと考えていいかもしれない。でも同時に、寮外の人が熊野寮の情報を手に入れやすい時代にしてきたと思うし、寮祭にこんなに寮外生が来るなんて当時にしてみればありえないことだろうと思う。KMN48自体はどうか?2年間の空白期間を経て、キャンパスでは忘れ去られた…かに思えたが、今年のNFでは確実に爪痕を残せたはず…。来年から快進撃を始める予定なのでみんなついてきてね(アイドルの人格登場)。キャンパス生が見かける熊野寮生は顔を隠していて、あるいはみんな声を揃えて同じこと(自治寮防衛、権力粉砕など)を叫んでいたり、怒号をあげていたりすることがほとんどだろうと思う。怖いだろうな〜。でもNFで見たKMN48のキラキラを持って帰ってほしいんだな〜私は。またキャンパスで会ったときに取り出して、思い出してほしい。覆面を取ったら野菜シスターズかもしれないよ。

 

こんな感じで長い1年を過ごし、最終的にちょっと元気になりました。2023年のわたしはちゃんと勉強します。KMN48は花道だけ歩きます。よろしくね。

月曜朝の喫煙所とか

最近、思ってないことを必死にたくさん言うのやめた。楽になったかと言われるとそうでもない。たとえば他人が私のやりたくないことを頑張っているとき、こういう理由で手伝ってあげられなくて申し訳ないみたいなことを言うのをやめた。頑張ってるね、とか、すごいね、偉いね、やりたいことがあるんだね。としか思ってないし。でも、せめて意欲を見せるくらいしないと失礼なんじゃない?とか、私が興味なさそうにしたことでやる気を削いだらどうしようとか、不安になってきちゃう。いやいや、もうそういうこと考えるのやめることにしたじゃん、と言い聞かせる時間が必要なので、まだ楽にはなれてない。

 

そもそも、自分が強く思ってることすら主張しないのを美徳と考えていた。のを思い出した。この寮に来るまで。「思ってるけど言わないでいてあげる」みたいな形で、必死に優位を保っていた。実家を出るまで。今は、今はたぶん、思ってること言える人がすごくて、私はそれができなくて、まあいいか。と思っている。心の中で優位に立つためにあえて人に何かを譲る、みたいなのは昔の私の癖で、今も抜けてないんだけど、愚かだなあと思うようにはなった。まあいいか。って感じだけど

 

7月は会議とかにほとんど1回も出ていなくて、いい感じ。でもまだ、失望されたくなくて「しばらく休んでまた力になりたいです」系のことを言ってしまう場面がある。8月はこれを1回も言わないように、あと出るべき会議には出れるようにしよう。シェアハウスの内見は、ブッチしちゃってやめた。てか寮住んでても生活成り立ってないのに家賃高くなったらしぬだろ草

 

浴衣着て好きな人と祇園祭に行った。今年の夏こそ、好きな人としたいことを全部したい。高えかき氷食べに行くのと、なんかしらのライブに一緒に行くのと、花火するのと、あとビアガーデンも行きたいし、日帰り旅行もしたいな。こないだ先輩に、いまの恋人と結婚するつもりある?と聞かれて、まず私自身が未来にビジョンを持ててないので結婚とか以前の問題すね〜笑となった。彼と結婚するかは、まあタイミングすね〜笑

 

なんかいつだかわからないけど平安神宮のあたりを二人で歩いてた時に子供育てようよって熱心に言われた記憶があるんだけど夢かもしれない。

 

漢方が切れてから精神科に行かなきゃと思い続けて1ヶ月経ってしまい、行かなきゃという気持ちもなくなってきた。学生相談室にも2ヶ月通えていたのに行かなくなってしまったし、毎日つけていた生活記録も途絶えた。今はツイートとスクリーンタイムとPayPayの履歴を見比べて、何日の何時に自分が何をしていたのかとか、どれくらい寝てどれくらい食べたのか、何にお金を使ったのか、ときどき確認しているけど、やっぱりある程度まとめないと何も見通せないね。記録が途絶えること自体は、後で見たときに「それくらい気力がなかったんだね〜」と思う材料になるのでいいんだけど、その時期のただ中にいると、こんなことも続けられないのか…と考えてしまうため、つらいですね

 

自分が一つの大きな神経細胞みたいな、そんな気がして、寝るか起きるかしかない生活 ここ何日かなのかここ数週間なのかあんまはっきりわからない こうなってからも外出の予定があるときはある程度頑張ってる 2時間のライブに1時間半遅刻したり当欠したりもしてるけど、夜勤は休んでないし。きっと大丈夫