部屋が寒い

だいたい寝ています 起きている間のことを書く

Love, Dream, Happiness

LDHが愛・夢・幸せの略なの面白すぎる。別に知ってたけど改めて目にしたら面白くなってきた、ってことあるよね。同回の右翼の友達が奇抜な(そうでもないか)名前でYouTuberをやっているんだけど、LINEの名前もそれなの。昨日たまたま実験でペアになって、資料の写メを送ってくれたんだけど、誰だよ(笑)と思ってウケてしまいました。

 

今日のミス:新歓の買い出しで、飲み物担当になっており、絶対いらんのに車2台10人で行った挙句、紙コップを買うのを忘れた。

今日のサクセス:猥談のための猥談ができた。

 

今日は買い出しの担当になっていた新歓があった。本当は全部に出なきゃいけないくらいだけど、正直自分が出ないとおかしいと思われそうな新歓にしか参加できないでいる。今日も4日風呂に入っていなかったし、やり忘れていた仕事が多すぎて人と喋れる状態になかった。そんな最悪のコンディション下で(運の悪いことに)私に話しかけてくれる人がいた。新入寮生で、学部や趣味くらいの情報は新歓中の自己紹介か人から聞いたか何かで知っていて、話してみたいな、と思っていた人だった。すきな人と同じブロックらしい。私に話しかけてくるなんて、よっぽど何か困りごとがあるのかと思ったら、このブログを読んでいる、という話だった。私はまだ彼女のことをほとんど知ることができていないのに、相手は私という人間のおよそ面白い部分は全て知っていて、今後の付き合いの中では残り滓しか提供できないということが、なんというか、恥ずかしい。そして彼女が入寮して以降いちども更新していないことに気がついたけど、なぜだろうね…。更新しなくなってからの2ヶ月間のことを考えてみようかね…。

 

最近調子どうですか、と人から聞かれるたびに「最近は同じ曜日に働くことができています」と返している。それはいいですねと言われる。そして必ず「でも豊かさがないんですよね」と返すことにしている。あらあら、という顔をされる。ただそれは、「鬱を抜けてまともな生活と引き換えに感受性を失った」ということでもなく、月に6回くらいしかお風呂に入れないし、学習机の下が洗濯物で埋まったままだし、満杯のゴミ袋たちは退寮した先輩の生活空間だった場所を代わりに使っている。同じ曜日に働けるようになったとは言っても、時間ギリギリにしか家を出られなくて、タクシー代がほんとうにバカにならない。生きづらさって実はそれ単体では全く面白くなくて…

 

恋が人肌の温度になってきたからいけないのか?恋愛妄想に狂っていないと、私は面白くなりようがないのか?はたしてそうかもしれない…。だけど恋人と過ごすつまらない時間はセラピーのようなもので、つまらなくない瞬間がやって来るのを待望しながら貧乏ゆすりしたりしなくてよく、自分が退屈ぎらいのせせこましい人間だ、という事実を忘れることさえあるほどだ。毎回セラピーが成功するわけじゃないんだけど、母以外には今のところ、彼ひとりだけがそれをできる。

 

ああ、2月の帰省が良くなかったのかもしれない。10日間、バイトの休みをもらって夜勤から解放され、京都での暮らしに必要な全てのことを滞ったまま放置して、実家に逃げ込んだ。昼間に起きて、母が仕事から帰ってくる前に洗い物だけすませる。弟は夕飯のとき以外にはだいたい自室にいるから、夜は母と二人でこたつに入り、録画したテレビを見ながらしょうもないことを言って笑って、足を噛んでくる猫を触る。ずっと母の子供でだけいたくて、大人にならなきゃいけなくなったら死のうと思っていた、18歳の自分に再会した。両親の関係は修復不可能なまでに悪化しているから、家族全員で過ごす時間には緊迫感がはりついて、そのぶん母と二人で過ごす夜の、平坦なやすらかさにしがみついてしまう。京都に帰ったあと、ぐちゃぐちゃの自室に足を踏み入れて、心がへなへなと座り込むのがわかった。初めてホームシックになった。

 

そういえば、形のある希死念慮をもっていたのは中3のとき、高3のとき、寮に入ってすぐのころのある朝。最初のはいちばん子供らしくて、自分が傷ついていることを周りにわからせる方法は自殺しかないと思っていた。カルテットという連ドラを次の週も見たくて、死ななかった。高3のとき、自律神経失調がつらくて、医者に怒られるのが嫌だから心療内科にはもう行きたくなくて、理由のない息の詰まりや緊張を抑えられる方法を探していた。コンタックを用法量以上飲めば、緊張感が和らぐらしい、という情報を得て少量OD(4文字で矛盾)をしてみた。ODって首吊りとか飛び込みより出来そう、って思うようになった。大学受験に成功しても失敗しても、後に続く人生を乗りこなせる気がしなくて、自殺が一番まともなルートだと思った。大学生になってやりたいことはあったけどそれは整形で、整形したらうまく生きられるようになると思っていたわけでもなくて、死ぬ前に多少マシな顔になっておきたい、という意味に近かった。自習室で毎日、酔い止めODと検索しては、結局コンタックを買って少し多めにだけ飲んでいた。合格して、新生活の準備に追われて、熊野寮に入ったら楽しかった。寮に入っていくらか日が経った朝、思い出したように希死念慮が現れた。死にたい、というよりは、死ぬ以外の方法では私を解決できない、という気持ちがそこにあった。携帯を見たら母からLINEが来たところだったから、久しぶりに苦しくなったことを(どんな表現だったか忘れたけど)少し話して、その日死ぬのはやめた。

 

あれ以来、形のある死にたさには出会わない。すぐに片想いが始まったからかもしれないし、だんだんと「解決or自殺」の二択を迫られることがなくなったからかもしれない。私はままならない生活を送り続けるしかないのだ、とわかってきたから。というと思い上がりのような気もする。何かをわかったと思って起きている私と、何もわからないから起き上がれない私では、後者が私のデフォルトだ、と思ってしまうのはなぜだろうね…。私が比較的アクティブでいるときにはいつも、動けなかった日々に私が考えていた色んなことを、自分ごととしてわかることができない。悲しくて、最近調子がいいなんて思ってるのは夢遊病と一緒だ、と思う。タクシーに高い金を払いながら、毎週同じ曜日にきちんと働いて、まっすぐには歩けない未来、つまり足を動かしはしているはずの未来を想像している。私が彼に向けるのと同じ類の愛情を、恋人も私に注いでいるのかどうか、しつこく追及するのをやめて、彼と共にする時間の中にやすらぎを見出しながら、甘い家族の夢をみているのだ。本当の私はもっと、いつも鬱屈として、神経質で遠回りで、そして豊かな人間だったはずなのに。そんな夢をみている。