部屋が寒い

だいたい寝ています 起きている間のことを書く

2022年ふりかえり

この記事は、Kumano dorm. 2nd Advent Calendar 2022 - Adventarの14日目の記事です。

 

 

 

2022年は爆病み大慌て春、虚無の夏、落ち着きの秋、踊って元気な冬を過ごしました。必要を感じたので残しておきます。

 

1.春

前回記事よりあとのこと、寮内で板挟み係の仕事に疲れ、躁鬱の波に飲まれ、精神崩壊。嫌いな人ができるのが悲しくて、人にうまく怒れなくて、泣いてばかりいた気がする。私は守銭奴みたいな熱量で人との関わり、そのチャンスを大事に集めていて、人のことを嫌いになるのが一番怖いことだと思って生きている。好きな人を嫌いになるのは簡単なのに、一度嫌いになってしまった人を好きになるのはすごく大変だから。好きになろうとする気持ちが残っているなら、私はその状態をその人のことが嫌いだ、とは表現しない。なるべくなるべく、人のことを嫌いだと言わないように、苦手だなって思っても「このままだと嫌いになっちゃいそうだから、好きになりたい」みたいな呪文を唱えてしまう。

 

この頃まで、私は人の話を聞いてそっとケアしてあげることしかできないし、それをやらなければこんな役立たずは寮というコミュニティに存在していてはいけない、と思っていた。それは今でも変わらないかもしれない。この頃ほど思い詰めていたのは、後にも先にもないけど。

 

人生で三度目くらいの、ぼんやりしてない希死念慮がやってきた。死にたいと思っていることを認めるのが怖くて、久しぶりにコンタックを入れた。死にたい気持ちを手で触りたいような気もして、ロープを注文した。効いてくるのに時間がかかるから、食堂を歩き回って、部屋に戻って、人と電話するためにまた部屋の外に出て、歩き回ったのがよくなかったのか、途中で追加したのがよくなかったのか、精神状態がよくなかったからか、バッドトリップした。倒れたところを人に助けられてトイレに向かい、白黒青のバチバチした光と共に立ち上がって、そのあと妄想と現実を高速で3往復くらいした。人に心配と迷惑かけてただ気持ち悪くなって、ものすごく後悔したけど、その後も落ち着かなくて、突然尾道に旅行に行った。気候がよくて、光がきれいで、ありがたかった。居酒屋で隣に座っていたお姉さんと話し込んでベロベロになって、店主の人の知り合いのゲストハウスに運び込まれた。談話室があって、そこで優しく諭されながら号泣していた記憶がある。たぶん半分妄想で、なぜならその記憶の中でわたしは、みんなが海に出て死んでしまうことが悲しくて泣き喚いていて、お兄さんとお姉さんは、それは悲しいことじゃないよ、そういうふうになっているんだよと諭してくれて、なんだこいつら、ミッドサマーに出てくる村人みたいな顔してんな、と思ったの。悪い夢だったのかも。朝、知らないベッドで目が覚めて、助けてくれたはずの人たちが悪い夢のせいで妙に気持ち悪くて、急いで京都に帰った。寮に帰ってしばらくした頃、お姉さんから絵葉書が届いた。嬉しかったけど、先延ばしにしているうちにとうとう返事は出せなかった。

 

このあと、大学の学生相談室にしばらく通い、精神科にもかかった。とても良い時間を過ごせたけど、思っていた通りあまり長く通い続けられなくて、急にまた行くのも間のことを説明するのがしんどいな…この頃ほど困ってないし…で行けず、今に至る。

 

楽しいこともあった。この春にKMN48としてくまのまつりに出演した思い出が、冬の私を元気にしてくれたのだと心から思っている。

 

2.夏

寮の仕事をしなくなって、あらゆるまじめな話をしている人がこわくて、近づけなくなる。それでも夏休みは充実していた。ADC合宿なんていう、苦手なはずの大人数旅行にも参加したし、恋人の誕生日もお祝いできた。水着も浴衣も着て、プールにも祇園祭にも行って、だけど楽しい行事の途中もなんだかそわそわして、寂しかった。

 

母親はずっと、モラハラ気味の父と離婚するつもりだという話をLINEしてきていて、それに疲れていた部分もあった。私以外に相談できる人がいなさそうなことも心配だったし、私がうまくケアしきれる自信はそもそもなかった。何より、緊迫感ではりつめたあの空気の中で暮らさなければならない弟のことを思うと、早く帰って負担を減らしてあげたいと思った。私がいれば家族4人で食卓を囲んでも無言にはさせないし、全員が孤立して生活を送っているであろう家族たちに、せめて息抜きをさせてあげられる。多少つらくても、猫に会えるだけで幸せだ…そんなことを考えていたが実際には、帰省は思っていたよりはるかに実りある時間だった。

 

ある日、弟と猫を眺めていたら、父が居間にやってきて、それまで一度も父の口からは話されなかった、母との関係性についての説明がはじまった。父はこれまでこんな話を子供に聞かせるものではないと思って話さずにいたようだが、私も弟も、父の人柄は理解しているのでなんら納得いかないことではなかった。母とはほんとうに全てが対照的な人だと思う。母はいつまでも私たちの世話を焼きたがって、まったく子離れできていないようでもあり、私たち子供のことを子供だと思っていない、つまり親と子の関係が対称なものではないということを気に留めないようなところもある。夫婦間で起きる諍いで負った傷を、子どもにケアさせることにも躊躇いがない。あまりお互いに干渉しない家庭で育った母、田舎で長男として生まれ親戚付き合いを大事にしている父。母は「人それぞれ」という言葉で全て片付けようとする、とぼやく父は、弟が実家を出るまであと2年、家族4人の過ごしたこの実家を、ハリボテでもなんとか守りたいようだった。私も弟も、もう無理だと思うよとしか言えない。母は一刻も早くこの家を出ていきたいと思っているし、毎日のように新たなエピソード付きでその気持ちを聞かせられ続けている私には、離婚の決意を揺るがすことはできないように思われた。いや、父が強く主張すれば母は折れるだろう。このふたりは対話に成功したことが一度もないのだ。母は、父の言うことには逆らえないと思っているから何を指摘されてもはいと言う。できないことも、今度からそうしますと言う。そしてまた何も変わらず、母が同じミスをして父が怒鳴り、これの繰り返しだった。人格否定を続けてたら、なにかものを言える関係なんか一生築かれなくない?と父になにかものを言う勇気は21歳になるまで生まれなくて、私にできることはなにもないままこうなってしまった。

進学で家を出る前、弟の前で喧嘩しないでくれと頼んだけれど、衝突を避けた結果あの無言の食卓が生まれてしまったらしい。弟は人とご飯を食べると味がしないようになったという。母だけではなくて私も弟も、こんなに心休まらない家で全員が苦しみながら生活するより、離婚してくれた方がずっと幸せだと思っている。父はショックを受けたように、家族にこだわっとったのは俺だけやったんやな、と言った。一家の大黒柱として20年間働き通しだった父の体は、ついに限界を迎えてしまったらしい。家族と過ごす時間も満足に持てないまま、体を壊してしまった今、母が弟と猫を連れて出て行ってしまったら。「ママとはもうやっていけんと思うけど、この家がなくなったら家族が集まれる場所がなくなる。場所がなくなったら人は集まらんくなるんや。本心がどうであれ、仲良いふりをすることぐらいは俺たちにも、大人なんやけんできるはずや」と言われて泣いてしまった。この人とちゃんと話せるようになるために、熊野寮に入ったのかもしれないと思った。

 

思えば家族の思い出のほとんどが、母娘息子の3人で過ごした時間だったかもしれない。少なくとも親たちにとってはそうだろう。父にとって家庭とは私たち3人のことだっただろうし、母が守りたいのは4人の時間ではなくて、私たち子どもだっただろうから。だけど私が覚えている実家の風景は、たとえば3人で晩ご飯を食べ終わって、しばらくすると父が帰ってきて空気が変わり「お父さんの時間」になるところまで含めた平日の夜だ。お父さんと過ごすのはいつも少し気まずくて、だけど、母と話すのとは勝手が違うのなんて当たり前だよなと思えるようになった。

 

結局、離婚はしないことになったらしい。父の生命保険の受取人を母から私に変更する手続きまでさせられたのに、離婚しないんだ!?

 

実家から寮に戻ってくるとやっぱり虚無だった。

 

3.秋

肌寒くなってくると少し落ち着いてくる。今の自分は寮自治に興味がないということを受け入れるのに半年近くかかった。私は私が思うとおりの寮生ではなかった。

 

自治にかかわるあらゆる話題と、自分が関係ない感じ。アンチになったわけでもなく、ただ自分が考えてきたことのすべてから実感だけが抜け落ちて宙吊りになってしまった。どんな会議に出ても、大切なことを話しているのは分かるけど、私は一人よそ者が紛れ込んでしまったような感覚に襲われて息がうまくできなくなる。違う部活のミーティングに出ているみたいだという比喩がしっくりきている。でも、たとえば寮をなくすべきだと思うようになったわけでもなく、実力闘争に反対するようになったわけでもなく、自治なんか迷惑だ、静かに生活させろと思うようになったわけでもないのだ。2年ちょっとかけて理解してきた寮の理論、自治の理念、私の思想。そういうものがほぼ完成された状態で、寮生という輪の中から弾き出されてしまったような。それは私の中から自治参加という機能が失われてしまったことを指した。人は社会の中でしか生きられなくて、人との関係の中でしか能力は発達しないし発揮されないと私はふだん考えている。私が自治参加の能力を発揮できなくなったということは、私が寮という社会の一員でなくなったのと同時で、というか同じことだ。何を話そうとしても、過去の自分が考えたことをなぞって話すことしかできなくて、今の私はそんなこと微塵も思っていないのに、すらすらと口から出てくる言葉が気持ち悪かった。私は確信している内容を話そうとする時ほど、言葉がうまく出てこなくて、話す速度がゆっくりになるのだった、と思い出した。

 

4.冬

KMN48に誘われた。2年ぶりの、私にとっては初めての対面開催NF。はじめ、NF経験者とそうでない3回生以下メンバーとの間にはかなり温度差があった。私も今年の春に初めてKMNに参加したし、勝手がよくわからなかった。今まで仕切ってくれていた先輩が色々やってくれるもんだと思っていたし、私が突然出張るのも違うかな、なんて呑気に考えていた……が、練習し始めると楽しくて、勝手に振り入れを担当し始める。元々アイドルオタクで48グループ全盛期が私の青春だったから、セトリを考えるのなんかも楽しい。やり始めると衣装にも多少こだわりたくなって出費が増える。あれ?50分の公演やるのにこんな練習量で間に合う?やばくね?→珍しく私がちょっとピリピリするほど本当にやばかった。バイトを休んでドタバタ練習したりうちわを作ったり。慌ただしかったけど、練習の中で後輩とも話せるようになり、何よりみんなと過ごす時間、そして一人黙々と練習したりアイドルについて考えを巡らせたりする時間が、虚無の毎日で曇ってしまった私の精神をきれいに晴らしてくれた。本番のことは色々なところで書いているので割愛。今は2023年のKMN48をどう楽しくしていくかで頭がいっぱいです。自治やっちゃう系アイドルの名の下に活動していくんだ俺は…という意識のおかげで、少しずつ自治のことを考えるのが苦じゃなくなってきた。これが本当に驚きで、KMNありがとう…私を救い出してくれて…と思っている。

NFのステージから見た景色はあんまり覚えていなくて、それはバレエを習っていた頃、遠くを見て踊りなさいと教わったのを徹底しているからなのかも(そうすると人の多さにあまり動揺せずに踊れるしね)。だけど、みんなが盛り上げてくれる声はずっと聞こえていた。テニサーの人とか、見に来てくれていた初対面の寮生が、終わった後話しかけてくれたのも嬉しかったな。MCはアジテーター達に任せれば大丈夫、と思ってあんまり喋らなかったけど、私も言いたいことが結構あるかも、と今になって思う。

まず、性別も学籍も関係なく一緒にアイドルとして踊れるKMN48であることに誇りを持っている。ダンスなんかやったことなくても、ちょっと間抜けな動きでもいい。かわいいなんてキャラじゃないと思う人だって、私たちと踊れば絶対にかわいいはずだ。KMNメンバーに向けられる「かわいい」は、熊野寮の新歓で、みんなの出身校に向けられる「めいも〜ん」みたいなもので、誰々より上とか下とかじゃないし、だけど本当に何の意味もなくふざけて言ってるだけじゃない気がしている。「めいも〜ん」って叫ぶとき、どんな学校であろうと熊野寮生を輩出した名門だと思っているから………

それと、KMNの盛り上がりは内輪ノリの「しょうもなさ」が持つエネルギーの大きさを証明してくれるから嬉しい。アイドルオタクってしょうもなくて、普段はただ顔がいいだけじゃなくてスキルがどうとかこのグループは曲がいいからとか、立派に説明しようとするくせに、レスをもらうと誰でもすぐ好きになってしまう。しょうもないことに命を燃やして、財布も気持ちも振り回されて、そしてオタクはアイドルを目の前にしたときだけ尋常じゃない熱量を見せてくれる。KMNのライブだってしょうもない。寮生が見に来てくれるのは知り合いが出てるからで、いつもは憎たらしいあいつがなんだかコミカルな動きをしている、やたらにかわいいニックネームを名乗っている、それを面白がっているだけなのだ(たぶん)。だけど内輪の寮生たちが本気で盛り上げてくれるおかげで、ステージ上でKMN48は本当にきらめくことができる。本物のアイドルみたいとまではいかなくても、そこにしかない輝きを見せている。

熊野寮のイメージアップを目指してできたKMN48だけど、結成当初に比べて寮の好感度はどうなってるんだろう。2010年に比べれば、弾圧は強まっているわけだから、より"危ない"寮になったと考えていいかもしれない。でも同時に、寮外の人が熊野寮の情報を手に入れやすい時代にしてきたと思うし、寮祭にこんなに寮外生が来るなんて当時にしてみればありえないことだろうと思う。KMN48自体はどうか?2年間の空白期間を経て、キャンパスでは忘れ去られた…かに思えたが、今年のNFでは確実に爪痕を残せたはず…。来年から快進撃を始める予定なのでみんなついてきてね(アイドルの人格登場)。キャンパス生が見かける熊野寮生は顔を隠していて、あるいはみんな声を揃えて同じこと(自治寮防衛、権力粉砕など)を叫んでいたり、怒号をあげていたりすることがほとんどだろうと思う。怖いだろうな〜。でもNFで見たKMN48のキラキラを持って帰ってほしいんだな〜私は。またキャンパスで会ったときに取り出して、思い出してほしい。覆面を取ったら野菜シスターズかもしれないよ。

 

こんな感じで長い1年を過ごし、最終的にちょっと元気になりました。2023年のわたしはちゃんと勉強します。KMN48は花道だけ歩きます。よろしくね。